発電機の音と匂いのする停電
停電については、これまで住んだ3カ国、どこでも頻繁に経験してきた。停電になると、誰かが発電機を操作して電気を送る。ものすごく大きな音と、オイルの匂いがする。それが「停電あるある」の一部だった。
南アフリカは計画停電だったので、「今日のこの時間帯は、この地区が停電」とあらかじめ分かっていた。だから、その時間に合わせて人を呼んだり、ご飯を炊いたりした。発電機を持っていない家庭は、ソーラーパネルでなんとかやりくりしているようだった。
日本は夜も明るすぎるくらいだから、たまには焚き火やろうそくの灯りも、悪くないものだと思う。
レジと停電
海外では珍しくないけれど、レジは店員さんが座ったまま、客が荷物をベルトコンベアに載せて流していき、店員さんが袋に詰めてくれるスタイルだ。うちの子は、店員さんが座っているのを見て「お客をもてなしていない!休んでる!」と最初は驚いていた。停電や、店員さんの手際の悪さが重なると、レジが10分15分と待ちなかなか進まないこともある。停電すると信号機も止まり、警官出動〜です。
「やせるゴミ、やせないゴミ?」
「ママ、これはやせるゴミ?やせないゴミ?」
まだ漢字が読めなかった頃、息子は「燃えるゴミ」「燃えないゴミ」をそう読んで見よう見まねで分別していた。そんな彼も、もう4年生になった。ナイジェリアに来る直前には、学校でゴミの分別を習い、ゴミ処理場の見学にも行き、家でもきちんと分別してから捨てるようになっていた。
それが、ナイジェリアに来た途端、一変した。空港から見える道端には、あちこちにゴミが捨てられている。家では瓶も電池も紙も、全部同じゴミ箱に入れる。現地の人に聞いてみたら、「全部一緒で、週に1回、車で集めに来る」とのことだった。生ゴミの水気を切るとか、プラスチックを洗ってから出すとか、そういう発想自体がない。
各国が「CO2削減」「ゴミの削減」と声高に言うけれど、正直、日本にできることはもう、ほとんど残っていないのではないかと思ってしまう。あるとしたら、他国のように教科書を個人ではなく学校のものとして使いまわすことかな。
スーパーに行くと、その違いはさらに際立つ。日本ではプラスチック袋はとっくに有料になった。でもナイジェリアでは無料でもらえる。かご一杯の買い物をしただけで、店員さんが「食べ物じゃないもの」「野菜」「肉」と、丁寧に品目ごとに分けて袋に入れてくれる。使う袋は5枚くらい。しかもその袋、驚くほど分厚い。野菜が入っているトレーも、100円ショップで買ったのかと思うくらいしっかりしていて、「これ、本当に1回で捨てるの?」と思うほど硬い。引き出しや冷蔵庫のトレーとして使っている。
人の手で分別される国
イギリスの家族寮に住んでいたときは、一応2種類の分別があった。ただ、よく見ていると、回収する人が結局まとめて運んでいっているのを見かけた。パキスタンにも分別という概念はなかった。ゴミ捨て場から、生まれたばかりの赤ちゃんが見つかったこともあった。
ゴミは、まとめてゴミ集積場にザーッと運ばれる。すると今度は、そこで大人や子どもが、金属などの売れそうなものを探して集めていく。機械ではなく、人の手による分別だ。
途上国に行くと分かるのが、「まだ使えるけど、どうしよう、捨てるのはもったいないな」という迷いがなく、帰国の際の処分が楽だ。警備員さんも、運転手さんも、掃除をしてくれる人も(もちろん各国、驚くほどの富裕層もいる)、曲がったフライパンだって、壊れかけたものだって、みんな喜んで持って帰ってくれる。
「もったいない」という感覚、日本がやっているゴミ削減の技術と努力がよくわかる。そんなことを、ゴミ箱ひとつを前にして考えている。