パキスタン:9.11から2年後、“命”と隣り合わせの教育現場に立って
車のナンバープレートを見れば、外交官の車か、国連職員の車か、それが一目でわかる街。学校の入り口では、警備員が車の下に爆弾が仕掛けられていないかを毎回チェックする。昨日行ったホテルはパソコンに仕掛けられた爆弾が爆発し粉々になっている。立てこもりのテロリストを攻撃する爆撃の風圧で夜は家の窓が揺れる——そんな日常が、私の「先生」としてのキャリアの出発点でした。
2003年、9.11から2年後のパキスタン。
私は現地の日本人学校で教員として働き始めました。担任として子どもたちの前に立つ一方で、頭の片隅には常に「もし何かあったら」という緊張がありました。
校庭を囲む塀は、刑務所かと見紛うほどの高さでした。避難訓練は「テロリストが学校に侵入してきたら」という想定で行われ、教室は籠城に備えて2〜3日分の備えがしてある。スクールバスが襲撃されたら、爆弾が投げられたら——そんな最悪の事態に備え、1年生の子どもたちにさえ無線の使い方を日々訓練させていました。
正直なところ、6歳の子に無線の使い方を教えながら、「なぜこんなことを教えなければならないのか」と。最後にスクールバスを降りる子どもからの「異常ありません」の無線連絡を受けると職員室の先生方はほっとします。この環境で、子どもたちは驚くほどたくましく、日常をこなしていったのです。
日本人学校とは日本の文部科学省が管轄する、日本国内の学校とほぼ同じ教育を行う全日制の教育施設です。公立の教員として働いている教員が受験し、各国に派遣されます。教員は都道府県ごとの採用なので、全国からチームを組むことは楽しそうでした。
パキスタンでの数年後、私が赴任したのは、日本のカトリック幼稚園でした。ところが、そこで待っていたのは安心ではなく、むしろ強い不安でした。
門はこんなに低くていいの? 運動会は誰でも自由に入れる? 不審者が来たら「足止め」に行くの? 「お荷物が届きました」という遠回しな校内放送は、一体何の合図? そして極めつけは——備えとして置かれているのが、まさかの「さすまた」?
命がけの訓練をしてきた身からすると、日本の「平和な」安全対策は、頼りなく、ときに滑稽にすら映りました。けれど同時に、それこそが「平和な国に生きる」ということの証でもあるのだと、後から気づくことになります。
教員として見た、日本人学校という選択肢
日本人学校とは日本の文部科学省が管轄する、日本国内の学校とほぼ同じ教育を行う全日制の教育施設です。公立の教員として働いている教員が受験し、各国に派遣されます。教員は都道府県ごとの採用なので、全国からチームを組むという稀な機会に先生たちは楽しそうでした。
日本人学校の最大の強みは、母国語で、日本とほぼ同じカリキュラムを学べることです。教科書もそのまま配布されるため、帰国後の学習ギャップがほとんど生まれません。これは、頻繁に転勤を繰り返す駐在家庭にとって、想像以上に大きな安心材料です。
一方で、現地校との交流イベントや、バスドライバー・清掃スタッフ・外国語教師との日常的な関わりを通じて、子どもたちは自然と現地の文化や英語に触れる機会も得られます。パキスタンの学校は規模が小さい分、先生と生徒の距離が近く、行きしぶっていた子が次第にのびのびと通えるようになる場面を見てきました。
ただし、正直にお伝えしておきたいこともあります。「帰国子女」という響きとは裏腹に、日本人学校だけでは英語力はほとんど伸びません。これは、海外生活を検討するご家庭が誤解しやすいポイントの一つです。
宗教のない国で気づいた、「道徳」の意味
日本の公立学校では、宗教教育が固く禁じられています。七夕のような行事でさえ、宗教的な配慮の対象になるほど徹底しています。一方パキスタンでは、クリスチャンは毎週日曜に教会へ、ムスリムは金曜にモスクへ通い、そこで人としての生き方を説く「ありがたい話」に日常的に触れています。
この違いを目の当たりにしたとき、ふと気づいたのが「道徳」の存在でした。子どもの頃は「なんの意味があるの?」「別にいらないのでは」と正直思っていたあの授業です。ですが、宗教という拠り所を持たない日本において、1年生からじっくりと時間をかけて行われる道徳の授業こそが、実は日本人の礼儀正しさや秩序の高さを、静かに支えているのではないか——教員としてではなく、一人の大人として、そう感じるようになりました。
日本人会という、もう一つのコミュニティ
日本人会の規模や活動は、国によって大きく異なります。存在しない国もあれば、パキスタンのように活発な国もあります。
私たちの地域では、餅つき大会、盆踊り、運動会などのイベントを、運営委員会を立ち上げて手作りで開催していました。餅つきに使うもち米は、一時帰国する日本人が分担して現地まで運ぶ——そんな苦労も含めて、大人にとっては大変な労力でした。それでも、現地でしか過ごせない一度きりの時間の中で、子どもたちが自国の文化に触れ、地域の大人たちに見守られながら育つ安心感は、何にも代えがたいものだったと思います。
教員として、そして親として
あれから20年以上が経ち、私はイギリス、南アフリカ、そして今はナイジェリアと、教育現場を渡り歩いてきました。振り返ると、パキスタンでの2年間は、私にとって「教育とは何か」「子どもを守るとはどういうことか」を根本から問い直された、原点のような日々だったと思います。
命の危険と隣り合わせの環境でも、子どもたちは驚くほどたくましく日常を生きていました。その姿を見てきたからこそ、私は今、確信を持ってこう言えます。環境がどれほど過酷でも、子どもは大人が思う以上に強く、しなやかに育つのだと。
次回は、パキスタンとは全く異なる教育文化に触れたイギリス編をお届けします。