「あなたたちの子どもは、この状態なのです」
息子たちは英語の補習授業を受けている。
英語を母国語としない子へのクラスなのだが、道具として言葉が話せるようになることだけではなく、自己肯定感や支援を受けるを安心感も得られるように、なるべくクラスの中で友達と同じメニューができるように考えられている。
新年度の保護者会で、先生が見せてくれたのは、世界各国の文字で書かれた「ようこそアブジャへ」の文字だった。
中国語と日本語以外、私にはまったく読めなかった。先生は言った。
「どうですか。あなたたちの子どもは、この状態なのです。どういう気持ちか、分かりますね」
はっとした。私は英語が読めるし、ある程度は知っている。でも子どもたちが今立たされているのは、それとは全然違う場所なんだ。全部が知らない記号にしか見えない世界に、毎日放り込まれているんだ。
泣いた夜
その言葉の重さを、すぐに思い知ることになった。
小4の息子は、翻訳機を使っていたら友達に笑われたと言って、帰りの車で泣いた。中2の息子は、自己紹介文のスペルがまったく書けず、友達に大笑いされたらしい。
正直、胸がぎゅっとなった。でもママは想定内。かわいそうにとか言わない。最初は珍しくて意気揚々と行く。でもその次のステップがここ。同時に、こうも思った。日本の学校でテストの前くらいしかまともに勉強しない子たちが、「通じない」「バカにされる」という経験をすると、人はちゃんと勉強するようになるものなんだな、と。
そして思う。日本に来る外国人の子どもたちは、もっと大変だ。ひらがな、カタカナ、漢字。文字が3種類もあって、漢字は常用漢字で5000、無限にあるように見えて、しかも読み方が一つじゃない。しかも覚えたところで、日本以外ではほとんど通用しない言語。それを思うと、こっちの苦労なんて夢があるじゃないか。
英語が話せないこと
イギリスで郵便局を利用した時、「英語すら話せないの?」と嫌な態度を取られて悲しかった記憶がある。同じイギリスの幼稚園の個人面談で、緊張気味の私に担任の先生は「こんにちは」と日本語を覚えて言ってくれた。涙が出るほど嬉しかった。わかりますか?自分の言葉を大切にしてくれたこと。教員として、外国から転校してきた家族がいれば挨拶だけだけれどその国の言葉を言うようにしている。
250の言語、共通語なし
パキスタンには5つの言語があって、それとは別に共通語もあった。私はそのウルドゥ語を勉強して、日常生活で使っていた。
ところがナイジェリアは、言語の数がなんと250。しかも、共通語がない。だから英語が公用語として使われている。東京と大阪くらいの話ではないのだろう。アイヌ語くらいなのかなあ。ナイジェリア人同士が、共通言語が英語しかないというのも、考えてみればなんとも不思議な話だ。
How are you事件
運転手さんに、この地域の大きな民族の言葉を教えてもらったことがある。ハウサ語とヨルバ語2種類の「HOW ARE YOU?」を覚えた私は、意気揚々と使ってみることにした。
学校の警備員さんに、覚えたての一つ目の「HOW ARE YOU?」を言ってみる。「え?」という顔をされる。じゃあこっちかと、もう一つの「HOW ARE YOU?」を言ってみる。それも「なんて言ってるの?」という反応。
気を取り直して、次の人に同じ二つを試してみる。結果、どっちも通じない。
なんじゃそら〜!もうええわ〜!
250の言語がある国で、隣町の言葉すら通じないなんてことが普通にある。「ナイジェリア語」なんてものは存在しないんだと、身をもって学んだ出来事だった。それでも、みんな笑って許してくれる。イントネーションかなー、日本人が話すと思わないからかなー、、、この国の懐の深さに、今日も救われている。