教科書通りにはいかない、4人分の学びの記録
海外に暮らしながら子どもの学力をどう支えるか。これは駐在家庭にとって、常につきまとう悩みだと思います。我が家は5カ国を巡りながら、4人の子どもたちそれぞれに、その都度違う形で向き合ってきました。
週3回の家庭学習と、単元の抜け落ちへの警戒
南アフリカに着任したのは、長男が2年生の2学期、長女が年長の2学期のとき。小学生用に2人分の本屋で教科書に沿ったワークを教科ごとに買い揃え、学校から帰った後、週3回、私が二人につきっきりで教えました。下の二人はというと、その合間に私がクッキーなどのお菓子作りをして忙しくさせていました。
私が特に警戒していたのは、単元がすっぽり抜け落ちてしまうことでした。パキスタンの日本人学校時代、転勤が続いたことで算数のある単元をまるごと学び損ねてしまい、その上に積み重なる内容についていけなくなってしまった生徒を見たことがあったからです。特に算数は積み上げ型の教科なので、抜け落ちがあると後から取り戻すのが難しくなります。そこに親が気づいてあげられるか。在外では希望すれば大使館から教科書をもらえますし、読書に力を入れるご家庭、漢検を頑張らせるご家庭など、やり方は様々でした。
マンガから始まった読書
長男は読書が苦手で、当初は心配していました。けれど先輩ママから「マンガからでいいのよ」と、私の凝り固まった考えをほぐしてもらったのを覚えています。それからというもの、毎回誰かが亡くなるサスペンス漫画(コナンです)を夢中で読み続ける息子を見て、内心「これでいいのかな」と思いつつも、まあいいか、と見守ることにしました。5年生の途中で帰国した頃には、学習面で遅れている様子はなく、のちには活字の本も読むようになっていきました。
帰国後に見えた、言語感覚のズレ
ただ、日本語の語彙や感覚のようなものは、少し独特な育ち方をしたようです。中学1年生の国語のテストで「平家物語について説明しなさい」という問題に、「ひらや」と読み違えて「一階建ての、、、」と大真面目に書いていたり、小学6年生のとき先生に「外に出ていなさい」と叱られたのに、その意味がわからず「遊んでいいんだ」とそのまま運動場に出て行ってしまったり。「長所と短所を書きなさい」という問題には、「長所:あし、短所:首」と、体の長さについて書いていたこともありました。今でも朝ご飯を食べていると「宴もたけなわですが、行ってきます」と言って出かけていきます。中学1年生の担任の先生からは「思考言語はどちらですか?」と尋ねられ、そういう概念があることを、私はそのとき初めて知りました。一方で英語はTOEICも英検も苦労なく取得し、吹き替えなしの映画を見続けてきたからか、今では英語のインスタグラムを2倍速で聞き取っています。
「小さいから大丈夫」ではなかった、次男の壁
次男は年少の2学期から現地校に通い始めました。年齢が小さいうちに始めた分、順応も早いだろうと、正直あまり心配していませんでした。3年間過ごし、小学1年生の途中まで現地校に通ったので、帰国後もすぐに追いつくだろうと、特に何も教えないまま帰国を迎えました。
ところが、帰国してしばらく経ったある日、学校から電話がかかってきました。日本語がわからないようなので国語の時間の一部を外国人の子どもたちと一緒に日本語の補習に当てていいかというものでした。両親とも日本人ですと伝えても、必要な様子でした。
思い返せば、南アフリカでは兄姉との会話も、家での会話も自然と英語になっており、両親と話すときだけ日本語、という環境でした。日本の教室では無意識に英語が口をついて出てしまい、先生にも友達にも伝わらず、泣いてしまうこともあったようです。しかも、兄や姉と違って、日本語で言い換えて説明する語彙すら持っていませんでした。現地校では先生の話を英語で聞き取って理解していたので、その部分の日本語がそもそも彼の中に存在していなかったのです。子どもの言語能力の仕組みに驚かされました。彼が使っていた学習教材には、「にほんご」と大きく書かれていました。両親ともに日本人なのに、「にほんご」という教材で学ぶ我が子の姿は、なんだか可笑しくて、つい笑ってしまいました。
ある日「今日の宿題は何?」と聞くと、「ラップ」という答えが返ってきました。最近の小学校はそんなことをやるのかと驚きながら見せてもらうと、そこにあったのは「竹垣に竹立てかけた、青巻紙黄巻紙、カエルぴょこぴょこ三ぴょこぴょこ」といった、ただの早口言葉でした。これを君の感覚ではラップと呼ぶんだね。またある日、国語の教科書を音読していた次男が、突然笑い転げ始めたことがあります。理由を尋ねると、世界でも珍しい縦書きの日本語で「どうしてだろう…。」と書かれた部分が、まるで文字からおしっこが飛び出しているように見えて仕方なかったのだそうです。
4人、それぞれ違う育ち方をした英語力
同じ親から、同じような環境で育った4人ですが、英語力の育ち方はそれぞれ全く違います。長男は読み書き・リスニング・スピーキングすべてができるようになりました。長女はリスニングとスピーキングは得意ですが、読み書きは苦手なままです。次男は帰国後に話せなくなってしまいましたが、耳の良さだけは残っています。三男は口の筋肉ができた時期に英語を習得したからか、発音の綺麗さが際立っています。同じ家庭内でも、年齢や習得のタイミング次第で、これほど育ち方が違うのかと、教員としても親としても、興味深い発見でした。
時代とともに変わる学習環境
今回のナイジェリアへの引っ越しでは、時代の変化を強く感じています。コロナ禍を経て、重い教材を大量に持っていかなくても、ネットで漫画や本が読めるようになり、塾さながらの学習アプリで各教科を学べるようにもなりました。大手塾の中には、海外からでも受けられるオンラインコースを用意しているところもあります。どこにいても学べる時代になったのだと感じる一方で、長時間ブルーライトの画面を見続けることによる視力への影響は心配です。新出漢字については、やはり紙に書かせたほうが記憶に残りやすいようにも感じています。
便利になった一方で、ナイジェリアならではの新しい悩みもあります。雨が降るたびに、ネット回線が頻繁に切れてしまうのです。「雨季だからねえ」とつぶやいた私に、息子が「雨季っていつまで?」と聞いてきたので「あと2ヶ月くらいかな」と答えると、「短っ!」と一言。ネットが繋がらなければ、勉強もままなりません。
英語は「事前準備」しなくていい
こう聞かれることがよくあります。「海外に行く前に、英語を習わせているんですか?」答えは、いいえです。(もちろんきちんと準備されて渡航されるご家庭もあります。)特別な準備をしなくても、子どもは現地で驚くほど適応していきます。
むしろ実感しているのは、「日本から海外に出て、現地の言葉で学ぶ」方が、「海外から日本に戻り、日本語で学び直す」よりもずっと楽だ、ということです。海外の学びは体験や会話を通じて自然と身につきやすい一方、日本の教育には暗記量の多さ、電卓を使わない計算、内申点といった、独特の高いハードルがあります。特に高校受験のタイミングでの帰国は、事前によく考えておく必要があります。とはいえ、心配しすぎなくても、それぞれの子に合った居場所は、きっとどこかに見つかるものだと、これまでの経験から思っています。
最後に
教科書通りに進む学びなど、海外生活には一つもありませんでした。4人それぞれ、直面する壁も、育っていく力も全く違う。だからこそ、その子に合わせて向き合い続けるしかないのだと、この10年余りで実感しています。